読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

友人の「ヤリチン君」と「シロウト童貞君」が仲良く同居している

f:id:xxxpiroki:20140608013912j:plain

ヤリチン君とシロウト童貞君の二人暮らし

僕の友人のヤリチン君とシロウト童貞君。二人は都内のワンルームマンションに仲良く同居している。僕を含めた3人は仲が良くていつもLINEでくだらないやり取りをしている。まあ男3人のLINEグループなんて下ネタが9割と相場は決まっていて、ほとんどヤリチン君の女性関係のことで埋め尽くされるのだけれど。

この二人は一緒に住んでいるのだが、女性経験には雲泥の差がある。ヤリチン君は毎週のように女性を家に連れて来てはセックスをしていて、シロウト童貞君は女性を家に連れてきたことはおろか付き合った女性とセックスをしたことすらない。仲良く一緒に住んでいてこの女性経験の差はとても不思議で興味深い。


シロウト童貞君の女性関係

シロウト童貞君はお世辞にもイケメンとは言えないけれど抜群に愛嬌がある。話しているだけでその場にいるみんなが笑顔になるような絶対的な明るさを持っている。だけど彼は女性に気を使い過ぎるところがあって、例えば彼は手をつなぎたいと思ったら「手、つないでいい?」と聞くし、キスするのも「チューしていい?」といちいち聞く。彼には一度だけ彼女が出来た事がある。アラサーになって出来た初めての彼女。なのに数ヶ月かけて手もつなぐことができず別れた。彼女と会う度に手を繋ごうとモジモジしていたらフラれたという。シロウト童貞君は男女問わず友人が多い。クラブによく行っていて人気者である。彼はそんな表面上の浅い付き合いなら陽気に振る舞えるけれど、女性と深く関係を持とうと意気込むと過度に緊張して駄目になるらしい。こんな感じでヤリチン君と数年住んでいるのに一向に女性経験は増えていない。


ヤリチン君の女性関係

ヤリチン君はお世辞じゃなくてもイケメンだ。清潔感があって女性からも男性からも好かれるタイプ。話題も知的なものから下世話な話まで対応できて笑いのセンスもある。そんな彼は常に不特定多数の女性とセックスをしている。
ヤリチン君は女性とセックスした後よく後悔している。「あぁ、またこんな女とやってしまった」と。そして「俺とセックスできたことを光栄に思って欲しいね」とも。ヤリチン君は何も聞かずにキスをする。何も聞かずに女性を押し倒す。「キスしていいか?そんなこと聞く訳ないじゃん。相手もきっと求めてるからね」そうやって女性と関係を持った結果、相手から「また会いたい」と求められることが多いという。
誤解を恐れずに言うと、ヤリチン君は女性を「道具」として見ているように思う。性欲や支配欲を満たすための道具。だからヤリチン君は女性と「関係」を築こうとしない。セックスできれば良いから相手に変な期待もしていない。その結果多くの女性とセックスができている。シロウト童貞君が気を使い過ぎて手を出せないのと対称的だ。
ヤリチン君は男2人暮らしのワンルームの部屋に恐れもせずに女性を連れ込む。彼には自信が溢れている。「俺が一人暮らしで土日休みのサラリーマンだとしたら、今の3倍は抱けてるよ」そしてそれは多分本当だ。ちなみに女性を連れ込む時は、同居しているシロウト童貞君に千円を差し出して「ごめん。今日は漫画喫茶に泊まってくれないかな?」と彼は言う。言われた方は怒ってもおかしくないような仕打ちだけど、素直に従うシロウト童貞君。むしろ漫画読めて嬉しいらしい。女性経験がほとんどない男性と一緒に住んでいるにも関わらず、毎週のように女性を連れ込むのがヤリチン君だ。
そんなヤリチン君も、女性を道具として扱うだけでは手に入れる事の出来ない関係性があることを知っている。「俺の本命の女性になり得るのは”話していて面白い知的な女性”だ。もちろん顔も可愛いのは当たり前だけど、自分の価値観が言葉の端々にでるような洗練された女性でなければ本命にはなり得ない」らしい。こういう顔の可愛い女じゃないと釣り合わないと自然と思っているのも彼の素敵なところだ。

ヤリチン君が持っている強い自信から自然と出てくる思考と行動が女性を引き付ける。これこそが"生まれながらのモテ”なのだと思った。ナチュラルボーンヤリチン。そして絶望的な事実は、彼と一緒に住んでいたとしてもシロウト童貞君にモテはやってきていないということだ。生まれながらの思考パターンというのはそう簡単に変わらないらしい。

 

ヤリチン君の原動力と思考パターン

ヤリチン君はよく働いてよく遊ぶ。休みなく毎日遅くまで仕事をして、早朝に趣味のジョギングをして、その合間に女性を口説く。休みなんてなくてもエネルギーに溢れている。その原動力として思うのは、彼は「人にしてもらったこと」を嬉しそうに語る、ということだ。例えば自分の友人を紹介する時にも「年齢」「職業」「趣味」などのラベルだけでなく「その人に何をしてもらったか」をストーリーにして話すことが多い。彼は他人からしてもらったことを大事に持っていて、それを人に話すたびに思い出している。僕はヤリチン君のこの思考の癖が生み出すものが原動力だと思っている。それは一言で言うと「感謝」だ。この単語はあまりに口にされ過ぎてて、文字にすると苦笑いを浮かべたくなる類のものだが。感謝は誰でもできるものだけど、感謝を「感じる力」は人によって差が大きいと思っている。口では「ありがとう」と言っていてもそれが感情を伴っているかどうかは全くの別問題だ。感謝は意外と感じずらい。例えば、人から金を借りたことは忘れやすくても、金を貸したことはずっと覚えてるみたいな感覚のように。彼は「感謝を思い出すような思考の癖」を持っていて、それは大きなエネルギーを生み出すのだと思う。

僕は鬱病だった時に、離島の山奥で仏教の坊さんから内観療法を受けた。僕にとっての内観療法とは、今までの人生で他人から「してもらったこと」を振り返り続けて「して返したこと」が如何に少ないかを知り、生きるエネルギーを取り戻す時間だった。特に母に対して振り返る時間が長かった。僕は母の子宮から生まれていて、母親の細胞から出来ているようなものだ。生まれてからも母の整えた環境の中で育っていく。今まで近くにいた時間が一番長い人間が母親なのだから「してもらったこと」ばかりで、その母親が自分と同い年だった頃に自分を生んで育てていた苦労と愛情を深く思った。内観療法も数日取り組み続けると「感謝を感じる感覚」が研ぎ澄まされて、母のことを考えながら嗚咽をこぼして、味噌汁を飲むだけで涙が出た。僕が母親と父親からしてもらったことを思い返すと、それだけで生きる理由には十分だと思った。一週間の内観療法で鬱がどうにもならなかったら自殺しようと思っていたけれど、してもらったことを思い返すと「死のう」なんて思えるわけなかった。

 

仏教の坊さんにこう言われた。

「人の思考とは脳を通る電気信号です。人には思考の癖があって、それは脳の太い回路を自然と使ってしまうから毎回同じような思考パターンになる。内観療法は”脳の再教育”です。この一週間程度の集中した内観で生きる力を養えますが根本的な思考の癖は変わりません。だから一生を懸けて内観やり続ける必要があります」

僕は感謝を感じることができない。だから内観的な訓練、感謝を感じる感覚を研ぎすます訓練を日常的にやり続ける必要がある。そんなことをヤリチン君と話していて思った。これからもヤリチン君とシロウト童貞君が楽しそうに暮らしているのを僕は見守っていこうと思う。